ミトコンドリア病だけどバレエ講師

ミトコンドリア病から糖尿病になりました。兄はミトコンドリア病で亡くなってます。運動したら乳酸値なかなか下がりませんがバレエ講師&正社員で事務員してます。兄の介護や闘病生活、私の闘病生活と同棲生活を書きます。

ミトコンドリア病の兄と家族の物語

私の兄はミトコンドリア病MELAS型の重症患者でした。

現在はミトコンドリア病と一括りにされていますが

20年前以上はミトコンドリア脳筋症と病名が付いていました。

兄は9歳の頃に発病しました。兄と私は年子で私はその当時8歳

夜中に脳卒中発作が起こり、親が慌てて救急車を呼んだのを覚えています。

兄が運ばれた病院は大阪でも小児科が有名で難病患者を多く扱っていました。

 

兄がすぐさま集中治療室に運び込まれ、ミトコンドリア病の検査を受けました。

ミトコンドリア病の検査は三通り位あり、私が覚えているのは筋検査と

髄液検査です。筋検査は腕から筋肉を採取する方法で、この採取が一番ミトコンドリア病の検査で確定診断が出しやすいとされています。

兄は発作を伴っていたので早急な確定診断をということで、一週間で九州の久留米大学から検体の返事がきました。私みたいに軽症のミトコンドリア病だと一か月~半年くらい確定診断は出ません。重症患者から優先らしいです。

 

その当時の担当医は兄の病気は治ることのない難病で、当時は100万人に1人のとても病気であること。あまりにも複雑な病気なので医者の間からは宇宙の病気と言われていると告げられたそうです。対処としては体に負担をかけないように運動はしない

痙攣止めの薬を飲むしかありませんでした。

兄は活発な男の子でした。自転車が大好きでいつもどこに行くのも自転車で嬉しそうに

家から飛び出していました。病気になった後兄はずっと自転車に乗りたいと言っていました。運動制限も急にかかり、今までと同じ生活ではなくなりました。

 

兄はそのころから入退院を繰り返すようになりました。

家族もどこまで兄が運動してはいけないのか

兄も当時はまだ体が動けたので無理をしてしまいその後、病気の疲れで

眠ってしまうことが良くありました。

ミトコンドリア病脳卒中発作で小脳にダメージが残り兄は体の自由と

知的後退が年齢を重ねていくごとに酷くなりました。

当時祖父母と同居だったので、家に一人ということはなかったのですが

母親は兄が入院すると付きっきりになるので、幼少期はとても寂しい思いをしました。まだ、甘えたい盛り。だけど母が夜遅くに兄の病院から帰宅していることを幼いながら認識していましたし、私の我儘で母に負担を掛けたくないと思ったからです。

そんな私のストレスが学校生活に現れました。私は元々お喋りで、とても明るい性格だったのですが、兄の病気で口数が少なくなり笑いもしなかったそうです。

そんな様子を担任の先生が母に伝えました。母はその当時兄の事で必死で私の事まで考える余裕はなかったみたいですが、小学校の担任から私の事を聞き、私にとても辛い思いをさせてしまったと深く罪悪感にかられ、兄が入院した時は日曜日だけ、私と二人で出かけて、二人の時間を作ってくれました。その二人の時間は私が中学を卒業するまで続きました。母なりの私に対する精一杯の対応だったと思います。

 

兄は支援学級がある近所の公立中学に進学し、私も同じ中学に進学しました。

母は兄の介護をするために、母の特技であるクラシックバレエの教室を立ち上げました。20年前の一般企業では介護休暇など安易には取得出来なかったので。

母も他の人と触れ合うことで兄の介護ということから一時的に開放されました。

私も母の勧めで幼少期からクラシックバレエを習っており

母の教室がきっかけで親子の交流が出来たと思います。

教室に居る間は兄はヘルパーさんが看てくれていたので、週に何回かでは

ありますが、母と二人の時間が出来ました。バレエスクールは私たち親子の

かけがえのない心の支えになりました。

 

ですが、幸せな事ばかりではありませんでした。

病気から発症僅か10年で兄の病状が悪化していったのです。

 

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