ミトコンドリア病だけどバレエ講師

ミトコンドリア病から糖尿病になりました。兄はミトコンドリア病で亡くなってます。運動したら乳酸値なかなか下がりませんがバレエ講師&正社員で事務員してます。兄の介護や闘病生活、私の闘病生活と同棲生活を書きます。

病気発覚から入院まで

私の病気発覚は偶然が重なり見つかりました。

2015年8月初旬、私はドイツからの長期フライトを終え帰国し

長めの夏休みを過ごしておりました。

 8月中旬に右足のひざ裏が痛くなり初めは湿布でも貼っておけば

大丈夫だろうと軽く考えていました。

 ですが、8月後半に入ると歩行も困難な痛みと変わり、ちょうど24時間テレビ

放送している時が一番痛かったのを覚えています。

 8月中旬から後半にかけて病院を3件移動しました。

1件目はいつも行っている接骨院

ここでは足の使い痛みと言われましたが日に日に足が痛くなり

湿布をしても全然痛みは治まりませんでした。

 

2件名は整骨院で名医と有名な病院に行きました。そこの先生に

この痛みは骨に関係ない、長期フライトからの経緯を考え

足に血栓が出来ているかもしれないと推測し

私を近くの市民病院へと転院させてくれました。

 市民病院でついた診断は深部静脈血栓症

 所謂エコノミークラス症候群です。

強烈な足の痛みの原因が分かり痛み止めを処方してもらい

安心したのもつかの間、8月下旬には寝れないほどの痛みが

続き、これはおかしいと思い私は次の診察の時に

母や叔父の反対を押し切り、大阪赤十字病院へ紹介書を

書いてもらいました。

周りは病院は近い方が良いと言っていたのですが

私は一か月以上続く痛みはおかしいし、ずっと痛み止めしか処方して

くれない先生の治療は間違っていると言う気持ちでした。

後に私の判断が自身の命を救いました。

 

足は一向に良くならず、赤十字病院に母と9/8に向かいました。

大病院なので待ち時間が非常に長く

母と2時間待った所で看護師さんに名前を呼ばれ

「新たな検査が必要です。血液検査をしたいので採血が終わり次第

また声をかけて下さいと」と言われました。

 

採血を終え、循環器に戻りそこでまた二時間ほど待ち

4時間経ってようやく名前を呼ばれました。

私を診察してくれたのは確か副部長だったと思います。

先生は渋い顔をし、エコノミークラス症候群

前と比べマシにはなっていること

薬も新薬を処方してくれました。

ですが、そこで新たな病気が発覚しました。

「君、糖尿病だよ」

私は一瞬何を言われているのか分かりませんでした。

痩せている私が糖尿病?バレエをしてて太ることには人一倍

気を付けてるし、運動もしているのにまさかと言う気持ちがありました。

先生はその日のうちに同じ病院内の糖尿内科に予約をしてくれました。

そこでまた、2時間まち。なので、合計6時間待ったことになります。

 

ようやく糖尿内科の診察呼ばれたときは疲れ果てていました。

 糖尿内科で家族の病気経歴を話しました。

兄がミトコンドリア病で亡くなっているということ。

 

先生は確定診断はまだ、出せないと言い

私のヘモグロビンA1cが15%あることがどれだけ大変なことかを

一言で説明しました。

「今風邪ひいたら死ぬよ」

この言葉ですぐに入院を決めました。

先生はいつから入院する、早めの方が良いよと言われたので

私と母は明日から宜しくお願いしますと言いました。

 病院から帰宅後は先生から今日だけ好きなものを食べてよいよとの

事だったので、家族で焼肉に行きました。

その時は糖尿病なんて今までのダイエット経験があれば

余裕だし、自分に厳しくすれば良いだけと軽く考えていました。

入院も初めてだったので、少しわくわく感もありました。

ですが、それは全て甘い考えであり、糖尿病でどれだけこの先

苦しめられるかをこの時の私は予想していませんでした。

 

多分、病気がマシになるだろうと簡単に考えていたかもしれません。

私が病気を発病してからはあまり物事を前向きには捉えづらくなりました。

最悪なパターンを先に考え、そこでそのパターンより良かったらラッキー

考えていたことが起きると、やっぱりかと言う気持ちで乗り過ごすように

しています。病気になってから体に関しては何一つ良いことはありませんし、費用の面も何も得をしているどころか、損ばかりしています。

 

次のブログは入院生活から病気の事をもっと綴っていこうかと思います。