ミトコンドリア病だけどバレエ講師

ミトコンドリア病から糖尿病になりました。兄はミトコンドリア病で亡くなってます。運動したら乳酸値なかなか下がりませんがバレエ講師&正社員で事務員してます。兄の介護や闘病生活、私の闘病生活と同棲生活を書きます。

最後の痙攣

20歳まで生きられないと言われていた兄が20歳を超え

22歳になりました。その時の兄は言葉は喋れず毎日奇声を発する日々

もちろん、筋肉は衰え自力歩行は出来ず、知的もかなり進み

トイレも自分で行きたいと言える状態ではありませんでした。

 

兄はいつもおむつをし、自身のストレスを母にぶつけていました。

 

兄が22歳の年に兄が脱水状態になり緊急入院を強いられました。

兄は入院が大嫌いなので、毎日のように母に帰りたいと目と奇声で

訴えかけていました。

 

母も仕事を持っているので毎日病院に行くのが無理な時もあるので

母の仕事が遅い日は私が兄の病院に出向き、兄の食事介護をしていました。

 

兄の病棟は小児病棟だったので、18歳以下の子供は病原菌を持ちこむ

可能性があるので立ち入り禁止でした。(10年前くらいの話)

私が18歳になるころは普通に18歳以下の子供たちも病室に入ることが

出来ましたが、私が幼いころはずっと外の待合室で待っていたのを覚えています。

母は兄の病室に行っているので、一人でずっとゲームボーイでゲームを

していた記憶があります。母となるべく居たくてついてきたのに

結局一人ぼっちと言うことが多かったです。

 

兄の食事介護はおむつが濡れていないか確認をし帰宅するのが

私の役割でした。

 

兄は一時退院を許可されました。ですがこの一時退院が兄が亡くなってしまう

きっかけを作ってしまうのです。

主治医が兄の処方薬を入れ忘れ兄は再び大きな痙攣を起こしてしまいました。

 

兄はそのまま病院に戻り元気な姿で自宅に戻ってくることはありませんでした。

 

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兄の高校入学

兄は中学を卒業後高校は特別養護支援学校に自動的に進学しました。

この頃、兄は自力歩行が難しくなっており、人の手を借りて歩行できる程度に

足の筋力は弱っていました。ミトコンドリア病の特徴的な筋力低下が

年齢と共に徐々に兄の体を虫食んでいました。

中学入学したころはひらがな、カタカナ、簡単な漢字も書けていましたが

特別支援学校入学時には物の読み書きが出来なくなっておりました。

長年繰り返した脳卒中による脳のダメージも影響していると思います。

どんなに気を付けていても、発作は急におこります。その日の体調や

病気の進行度によって、日々兄の病状が違ってくるので、発作がどの程度で

起きるのかと言う加減は、医者も私達家族も手探りな状態でした。

 

ある日診察後に主治医がミトコンドリア病に効くお薬がある。一度兄が飲んでいるジクロロ酢酸の服用を中止しアルギニンを服用してみましょうと処方を変更しました。

ジクロロ酢酸は腎臓の負担が大きく、将来糖尿病を発病するかもしれない病気なので

医者は腎臓の負担を減らしたかったのかもしれません。あと、アルギニンをミトコンドリア病患者に投与したところ症状が緩和された、発作が軽くなったと良好な実験結果が多数ありました。母もそれを聞き早速薬を変更しましたが、その変更が大変な結果を招くことになりました。

 

兄はジクロロス酢酸がとても体にあっており、アルギニンに変更した日からみるみる

体調が悪くなり、薬変更後の夜に発作が起きました。

主治医からミトコンドリア病に効果があると言われていた薬だった為

何が原因か分からず、ただ今までより大きな発作に母と父はうろたえてしまい

私が救急車の手配、保険証、診察券、入院の準備を救急車が来る5分から10分ほどで

済ませ、待機しました。母はその間兄を抱きしめているだけで、父は部屋の中を

ウロウロしていました。救急隊員が到着するとすぐさま兄と母は病院に向かい

父は自家用車で病院に向かいました。私は次の日学校だったので、一人家に

残ったのを覚えています。兄が発作を起こし、家で夜中に一人になるのは慣れていました。祖母が小学校六年生の時に亡くなってから私は家で残されることが多くなったので。

兄は病院に到着するとICU(集中治療室)に入りました。

兄が発作を起こして、初めての週末にお見舞いに行きましたが

兄の意識は無く、沢山の医療機器に繋がれていました。

担当医からはいつ危篤状態になってもおかしくないと言われており

状態は一刻を争う物でした。

 

兄にはアルギニンは合わず、ジクロロス酢酸が体に合っていた事がこの発作によって分かりました。

 

集中治療室に入院してから一か月経ったころに兄は奇跡的目覚めました。

そこから、体も動かせるようになっていたのですが、やはり脳卒中発作なので

脳へのダメージが今までよりも大きく、兄は言葉を繋げて発することが出来なくなり

単語、単語で言葉を話すようになりました。

足の筋力も入院生活で衰え、退院するころには自力歩行は完全に不可に

なっていました。この発作から兄はおむつをするようになったと思います。

 

兄は言葉を上手く伝えられないストレスで母に八つ当たりをしよく

物を投げて奇声を発していました。今まで綺麗好きで涎を口から出すことなんて

絶対になかった兄が口から涎を流している姿よを見たときは

ミトコンドリア病に怒りを覚えました。

病気が発症する前は妹の私を守り、いじめっ子にも立ち向かっていた兄です。

負けず嫌いで、体を動かすことが大好きだった兄。

病気で兄は全ての楽しみを奪われました。

 

病気をしている本人が一番大変な事は分かっているのですが介護をしている

家族側もかなり大変でした。まず、私と母を悩ませたのが兄の下の世話です。

兄は薬の加減で尿の量がかなり多く、幼児用のおむつでは漏れが生じました。

大人用のおむつでは兄の小さな体に合わずよけに漏れてしまうのです。

尿パッドをかさましし、その上から幼児用のおむつを着用していました。

 

兄の介護は兄が亡くなるまで続きました。

 

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ミトコンドリア病の兄と家族の物語

私の兄はミトコンドリア病MELAS型の重症患者でした。

現在はミトコンドリア病と一括りにされていますが

20年前以上はミトコンドリア脳筋症と病名が付いていました。

兄は9歳の頃に発病しました。兄と私は年子で私はその当時8歳

夜中に脳卒中発作が起こり、親が慌てて救急車を呼んだのを覚えています。

兄が運ばれた病院は大阪でも小児科が有名で難病患者を多く扱っていました。

 

兄がすぐさま集中治療室に運び込まれ、ミトコンドリア病の検査を受けました。

ミトコンドリア病の検査は三通り位あり、私が覚えているのは筋検査と

髄液検査です。筋検査は腕から筋肉を採取する方法で、この採取が一番ミトコンドリア病の検査で確定診断が出しやすいとされています。

兄は発作を伴っていたので早急な確定診断をということで、一週間で九州の久留米大学から検体の返事がきました。私みたいに軽症のミトコンドリア病だと一か月~半年くらい確定診断は出ません。重症患者から優先らしいです。

 

その当時の担当医は兄の病気は治ることのない難病で、当時は100万人に1人のとても病気であること。あまりにも複雑な病気なので医者の間からは宇宙の病気と言われていると告げられたそうです。対処としては体に負担をかけないように運動はしない

痙攣止めの薬を飲むしかありませんでした。

兄は活発な男の子でした。自転車が大好きでいつもどこに行くのも自転車で嬉しそうに

家から飛び出していました。病気になった後兄はずっと自転車に乗りたいと言っていました。運動制限も急にかかり、今までと同じ生活ではなくなりました。

 

兄はそのころから入退院を繰り返すようになりました。

家族もどこまで兄が運動してはいけないのか

兄も当時はまだ体が動けたので無理をしてしまいその後、病気の疲れで

眠ってしまうことが良くありました。

ミトコンドリア病脳卒中発作で小脳にダメージが残り兄は体の自由と

知的後退が年齢を重ねていくごとに酷くなりました。

当時祖父母と同居だったので、家に一人ということはなかったのですが

母親は兄が入院すると付きっきりになるので、幼少期はとても寂しい思いをしました。まだ、甘えたい盛り。だけど母が夜遅くに兄の病院から帰宅していることを幼いながら認識していましたし、私の我儘で母に負担を掛けたくないと思ったからです。

そんな私のストレスが学校生活に現れました。私は元々お喋りで、とても明るい性格だったのですが、兄の病気で口数が少なくなり笑いもしなかったそうです。

そんな様子を担任の先生が母に伝えました。母はその当時兄の事で必死で私の事まで考える余裕はなかったみたいですが、小学校の担任から私の事を聞き、私にとても辛い思いをさせてしまったと深く罪悪感にかられ、兄が入院した時は日曜日だけ、私と二人で出かけて、二人の時間を作ってくれました。その二人の時間は私が中学を卒業するまで続きました。母なりの私に対する精一杯の対応だったと思います。

 

兄は支援学級がある近所の公立中学に進学し、私も同じ中学に進学しました。

母は兄の介護をするために、母の特技であるクラシックバレエの教室を立ち上げました。20年前の一般企業では介護休暇など安易には取得出来なかったので。

母も他の人と触れ合うことで兄の介護ということから一時的に開放されました。

私も母の勧めで幼少期からクラシックバレエを習っており

母の教室がきっかけで親子の交流が出来たと思います。

教室に居る間は兄はヘルパーさんが看てくれていたので、週に何回かでは

ありますが、母と二人の時間が出来ました。バレエスクールは私たち親子の

かけがえのない心の支えになりました。

 

ですが、幸せな事ばかりではありませんでした。

病気から発症僅か10年で兄の病状が悪化していったのです。

 

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病気でも挑戦

インスリンに変更してから食べ物の我慢があまりなくなり

気分的に前向きになれました。

2016年私にとって人生の転機が訪れました。

体を動かすと低血糖の恐れがあるので、バレエをしている時は

血糖値の乱降下があり、昔みたいに集中してバレエを出来なくなりました。

いつも頭のどこかで血糖値の事があり、低血糖に怯えていました。

もし倒れたら先生にも周りにも迷惑をかけてしまう。

それだけは絶対にダメだと強く当時は思っていました。

 超即効型のインスリンに変更するということは低血糖の確立が

大幅に上がり、命の危険もあるという事は覚悟していました。

単位数を間違えると高血糖にもなるし低血糖にもなる。

ですが、私にとって好きなものをストレスなく食べれる方が数十倍良かったのです。

 

バレエを心から楽しめなくなり、二度の目の海外留学を夢見ていましたが

それを諦めました。海外のバレエ団のオーデションを受けようと思っていましたが、

病気になりそれどころではありませんでした。

私からバレエを取ったら何が残るのだろうと

考えていました。次にしたいこともない。趣味もないと。

その時に母が「囲碁するとか言ってなかった。試しに行ってみたら」

と言ってくれたのです。その言葉で私は動き始めました。

 実家から自転車で20分ほどの所にあるショッピングセンターにあるカルチャーセンターで囲碁教室が入っており、月に二回日曜日に教室は開かれていました。

お値段も4000円ほどだったので、早速体験を申し込みました。

 囲碁教室はプロの先生が教えてくれました。

囲碁のルールを教えてもらい、すぐに13路から19路になり体験で囲碁の楽しさに

目覚めてしまいました。先生も一日で19路打てるようになれば才能あるよと

褒めてくれたので、それもあったかもしれません。

体験後、入会を申し込み本屋さんで囲碁の書籍慣例を購入し次の囲碁教室までに

入門本を全て読んでしまいました。囲碁だと血糖値の事を気にせず済みますし

何より一生出来る趣味なので本当に良い趣味に出会ったと思います。

 

8月後半から囲碁を始め、9月~月に二回ほどの教室に毎月通うようになりました。

初めは詰碁の本で問題を解き、そこから先生の指導碁を2局ほど打って頂きます。

その指導方法が良かったのか、11月に囲碁フェステバルで違う先生に打って頂いたときは、囲碁をして三か月と少しと伝えると、石の運びがとても綺麗と褒めてもらえました。

11月くらいになると教室の他にもどこかで打ちたいと思い、大阪にある

とある碁会所に行きました。そこは当時プロの先生が2人

インストラクターの方が1人在中するお店でした。

そこのお店には3回ほどお世話になり、そこでプロの先生方が主催している

囲碁会の存在を知りました。たまたま心斎橋で行われるとの事だったので

心斎橋の方が実家から近いという事もあり、私はその囲碁会にも

興味があったので、心斎橋に行くことにしたのです。

この時の行動が私の囲碁とこれからの人生を大きく変えるきっかけとなりました。

 

囲碁会は20代から30代を中心の若者メインの会でした。私は人見知りな事もあり

初めはあまり人と絡めずにいました。囲碁会に参加した時に心斎橋が

とても綺麗なサロンだったので囲碁会後にもう一度訪問しました。

 

それが2016年11月でした。心斎橋に行くとそこは老若男女問わず人がおり

みんな真剣に碁盤に向き合っている姿に圧倒されました。

 

そこで囲碁を打ち、もちろん私はまだ始めたばかりだったので

そんなに良い結果は残せませんでしたが、心躍る時間でした。

心斎橋にはその後足を運びませんでしたが

 囲碁教室とプロ先生のサークル、囲碁会に通い腕を磨いていました。

4月に囲碁会のイベントが開催されそこで私の運命が変わり始めました。

バレエ以外に興味がなく、違う世界に飛び込んだ事が無かったので

囲碁という世界は新鮮でした。幼少期から兄の介護もあり、あまり青春時代をおう歌していなかったのもあります。

 

次回は兄との思い出をつづります。

 

ここが知りたい! 糖尿病診療ハンドブック Ver.4

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薬に頼らず血糖値を下げる方法

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病気の苦しみ

退院後の生活は私にとって地獄の始まりでした。

私は初めインスリンではなくGLP-1を使用していました。

理由は一日一回GLP-1を打てば、後は寝る前のインスリン

良いからです。一日何回も針を体に打つことはストレスになると

考えたからでした。ですがこの判断が自身の首を絞めることになるのです。

 

GLP-1とは小腸にある物質で、食事をとるとこれが分泌され血糖値を下げる効果があります。副作用として胸のつっかえや吐き気などあり食欲減退があり、2型糖尿病の人に良く使われるお薬です。GLP-1はインスリンではありません。超即効型のインスリンとの併用は低血糖の危険があるため禁忌とされています。

 

退院前に病棟の看護師さんから半年かけてヘモグロビンA1cを下げていきましょうと

言われたのですが、私はヘモグロビンA1cの高い怖さをネットや書籍で調べまくっていたので、一刻も早く下げなければと思っていました。なぜ血糖値が上がるのか、上がりやすい食べ物は何かという事を調べ上げ、私は一つの結論に出ました。

 

MEC食です。お肉、卵、チーズだけを食べて過ごすダイエット方です。

所謂炭水化物抜きです。私の場合病気もあるので野菜も取りたいと考え

野菜もその中に入れましたが、ドレッシングやは一切抜きにして

生野菜を食べていました。

 

初めは味噌汁の炭水化物、しょうゆの炭水化物など考えてもいなかったのですが

MEC食にして初めての初めての検査ではヘモグロビン10%と入院まえより5%も下がっていました。しかもたった一ヶ月で。入院したのが2015年9月だったのでその年は一か月に一回検診に行っていました。その翌月には8%、その翌月の11月には7%。12月には6%まで下がっていました。先生から食後の運動を頑張っているのかな、食事制限してるのかな、それにしても順調に下がってきてるよとお褒めの言葉を頂きましたが

その頃の私は異常でした。血糖値が上がりそうなものは一切口にせず、毎日半身浴にジョギング、ストレッチ、寝る前血糖値は絶対に90代でないと運動を辞めませんでした。

今では90代で寝るのは夜間の低血糖の恐れがあるので、

怖くてそんなことは出来ません。寝る前の血糖値は120は欲しいです。

当時は起床後の血糖値は70と低血糖ギリギリでした。

 

高血糖は140以上低血糖は70以下と言われています。

高血糖状態が続くと血液がボロボロになり血管が詰まりやすくなります。

その為心筋梗塞脳梗塞などの重大な病気にかかりやすくなります。

また、腎臓障害、糖尿病網膜症も糖尿病が進行すれば起こります。

低血糖は初めは手足の震え、倦怠感、冷や汗から始まり

呂律が回らない、思考が働かない、痙攣が起こります。

対処法として、ブドウ糖の摂取を進められます。

 

インスリンを打っているわけではないから血糖値上がるものは絶対に口にしない

外食も極力避けて、お菓子も全て我慢しました。食べてもチョコレート一かけら

アイスクリーム一口、そんな生活が続いた四か月目とうとう私の精神状態がおかしくなりました。

 

お菓子も食べたい、ラーメンやうどんが食べたい。36kgになってやせ細ってヘモグロビンA1cが5%になっても精神的にどんどん追い詰められていく。

ずっとこの先我慢しか出来ない人生なんて何も面白くない。私と同世代の人たちは楽しんでいるのに私は病気と、ご飯も全て我慢して何も楽しみがない。

今の人生に絶望しか感じられないと思うようになりました。

そんな私に母が「そんなに辛いならインスリンにすればいいでしょ食べたいもの食べれるやんか」と言ってくれ私は3月の検診の時に先生にインスリンに変更をしてもらいました。カーボカウントの事は一言も言いませんでしたが、主治医はインスリンを多めに処方してくれました。私はカーボカウントをずっと前から知っていましたし、勉強もしていたのですぐに取り組むことが出来ました。

糖尿病発覚後七ヶ月でやっとインスリン注射を手に入れることが出来たのです。

初めからインスリンを選んでおけば、カーボカウントしておけば

食に対する我慢やストレスなく過ごせることが出来たのですが

まぁ、これも一種の人生勉強として捉えておきます。

 

MEC食が全て悪いわけではありません。基本痩せます。私みたいに

徹底的に炭水化物を抜いて低血糖さえ意識すれば本当に痩せます。

私は退院時の体重は41kg、そこから5kgも痩せたことを考えれば効果は

ありと思います。(適度な運動ももちろん必要ですが)

ですがMEC食は一時的な方法だと思います。バランスよくご飯を食べて

運動するのがどの人にとっても万病の元ではないかと思います。

偏った食事制限はストレスも元ですしね。

 

次は囲碁と病気の事を続けて書いていきますね。

 

 

 

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入院生活

9/9から私の人生初めての入院生活が始まりました。

これまで入院や骨折など大きな病気をせずに生きてきた人間としては

入院という物は別世界に感じました。

 病院食は美味しくないとよく言いますが、昔と違い美味しく

私の場合個室だったのもあり、お風呂を入る時間も自由に

過ごしていました。(大部屋だとシャワー室を予約して

16:00までに入浴だったと思います。その時間を過ぎると入れません)

 

個室だとテレビもつけ放題なので、ゆったりと夜には

スマホをいじりテレビを付けて過ごしていたと思います。

ありがたいことに途中友達何人かがお見舞いにきてくれました。

 

検査は腹部エコー、MRI、目の検査、聴力検査、心療内科(ミトコンドリア病双極性障害になりやすいらいしいです)心エコー、糖分の負荷検査、ミトコンドリア病の乳酸の上がり方検査、髄液採取などを二週間の入院で行いました。

あと、糖尿病の方が入院したら行うことですが尿も溜めました。

 

私の場合すべてにおいて異常なしと判断されました。

糖尿病は糖尿病ですが二次被害は出ていなく幸いでした。

普通ヘモグロビンA1c15%もあれば何かあっても別におかしくないのですから

通常若い女性だと4%から5%の数値が普通です。

5%だと考えると私は人より三倍も数値が高いことになるのですね。

本当に命があり、何もなくてよかったと胸を撫で下ろしたを覚えています。

 

また、髄液採取の時は周りから強烈な痛みがあると言われていたので

髄液採取前夜は怖くて寝れませんでした。

ネットでも髄液検査の痛みはすざましく、意識を失う痛さと書いてあるブログを見てしまったので。病気で嫌な思いをしているのに何故これ以上に嫌な思いをしないといけないのかとずっと不安で不安で仕方ありませんでした。

 

当日体が柔らかったこともありすぐに海老ぞりの体制には取れましたが

ネットで局部麻酔する時も痛いとか載っていたので

抑えてもらってる看護師さんの服をもの凄い力で握りしめてしまいました。

先生のでは採取しますねの声で息が詰まる思い状態でしたが、いざ局部麻酔を

されると、全然痛くない。しかも髄液今採取してますと言われても

何も感じないし、むしろ本当に髄液採取してますか状態。

20分くらいで採取も終わり、半日はゆっくりしてくださいと看護師さんに

言われて、私の恐怖の髄液採取はあっという間に終わりました。

あんなに痛くないなら怖がる必要性なかったし、これのどこが痛いのってなりました。ネットの書き込みも嘘ではないか、大げさに書いているだけではと思うようになりました。実際に体験してみないと分からないものですよね。

検査が無い時は近場の薬局やスーパーに行って店内を見たり

院内にあるコンビニに行ったりと好きに過ごしていました。

糖尿病慣例の本を購入し退院後の生活を考えていました。

なんとなくテレビを見ていると囲碁がテレビ画面に映りました。

ヒカルの碁囲碁の事は何となく知っているつもりでした。

ですが、いざインターネットで調べてみると全く分からず

テレビの講義内容も頭には入ってきませんでした。

面白そうだと思いましたが、まだ、その時点では囲碁を習おうとも

思っていなかったのですが

私が囲碁に興味を持つようになったのはこの入院がきっかけでした。

 

二週間の入院で検査を沢山し最後はミトコンドリア病の乳酸検査

室内で漕ぐ自転車に乗って何分か漕いでおりて血液採取して

また漕ぐと言う作業を4回ほど繰り返しました。

この検査が珍しのか主治医の他に3名ほどのお医者さんが

リハビリ室に一緒に来ました。

私が一生懸命自転車を漕いでいる時に先生たちが雑談をしていたのを

覚えています。私も暇なので途中で雑談に混ぜてもらいました。

当時私の主治医であった先生はドイツ留学経験があるとの事

遊びでの留学ではなく、医学留学と言われていました。

私自身もドイツでバレエ留学していたので、「あみさんもドイツに留学してましたよね」みたいな感じで振られ、「はい、バレエで」と言うと皆さん関心してくれました。

 

今でもドイツにバレエ留学経験があると言うと関心してくれる方が多いので、留学をさせてくれた親には感謝です。バレエ講師するにあたって素晴らしい経歴をくれたので。

 

入院中は退院後の生活を深くは考えていませんでしたが、退院後、私の生活が

今までガラッと変わり精神的に追い詰められました。

 

次回退院後の事を書いていきます。

 

糖尿病治療ガイド2018-2019

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病気発覚から入院まで

私の病気発覚は偶然が重なり見つかりました。

2015年8月初旬、私はドイツからの長期フライトを終え帰国し

長めの夏休みを過ごしておりました。

 8月中旬に右足のひざ裏が痛くなり初めは湿布でも貼っておけば

大丈夫だろうと軽く考えていました。

 ですが、8月後半に入ると歩行も困難な痛みと変わり、ちょうど24時間テレビ

放送している時が一番痛かったのを覚えています。

 8月中旬から後半にかけて病院を3件移動しました。

1件目はいつも行っている接骨院

ここでは足の使い痛みと言われましたが日に日に足が痛くなり

湿布をしても全然痛みは治まりませんでした。

 

2件名は整骨院で名医と有名な病院に行きました。そこの先生に

この痛みは骨に関係ない、長期フライトからの経緯を考え

足に血栓が出来ているかもしれないと推測し

私を近くの市民病院へと転院させてくれました。

 市民病院でついた診断は深部静脈血栓症

 所謂エコノミークラス症候群です。

強烈な足の痛みの原因が分かり痛み止めを処方してもらい

安心したのもつかの間、8月下旬には寝れないほどの痛みが

続き、これはおかしいと思い私は次の診察の時に

母や叔父の反対を押し切り、大阪赤十字病院へ紹介書を

書いてもらいました。

周りは病院は近い方が良いと言っていたのですが

私は一か月以上続く痛みはおかしいし、ずっと痛み止めしか処方して

くれない先生の治療は間違っていると言う気持ちでした。

後に私の判断が自身の命を救いました。

 

足は一向に良くならず、赤十字病院に母と9/8に向かいました。

大病院なので待ち時間が非常に長く

母と2時間待った所で看護師さんに名前を呼ばれ

「新たな検査が必要です。血液検査をしたいので採血が終わり次第

また声をかけて下さいと」と言われました。

 

採血を終え、循環器に戻りそこでまた二時間ほど待ち

4時間経ってようやく名前を呼ばれました。

私を診察してくれたのは確か副部長だったと思います。

先生は渋い顔をし、エコノミークラス症候群

前と比べマシにはなっていること

薬も新薬を処方してくれました。

ですが、そこで新たな病気が発覚しました。

「君、糖尿病だよ」

私は一瞬何を言われているのか分かりませんでした。

痩せている私が糖尿病?バレエをしてて太ることには人一倍

気を付けてるし、運動もしているのにまさかと言う気持ちがありました。

先生はその日のうちに同じ病院内の糖尿内科に予約をしてくれました。

そこでまた、2時間まち。なので、合計6時間待ったことになります。

 

ようやく糖尿内科の診察呼ばれたときは疲れ果てていました。

 糖尿内科で家族の病気経歴を話しました。

兄がミトコンドリア病で亡くなっているということ。

 

先生は確定診断はまだ、出せないと言い

私のヘモグロビンA1cが15%あることがどれだけ大変なことかを

一言で説明しました。

「今風邪ひいたら死ぬよ」

この言葉ですぐに入院を決めました。

先生はいつから入院する、早めの方が良いよと言われたので

私と母は明日から宜しくお願いしますと言いました。

 病院から帰宅後は先生から今日だけ好きなものを食べてよいよとの

事だったので、家族で焼肉に行きました。

その時は糖尿病なんて今までのダイエット経験があれば

余裕だし、自分に厳しくすれば良いだけと軽く考えていました。

入院も初めてだったので、少しわくわく感もありました。

ですが、それは全て甘い考えであり、糖尿病でどれだけこの先

苦しめられるかをこの時の私は予想していませんでした。

 

多分、病気がマシになるだろうと簡単に考えていたかもしれません。

私が病気を発病してからはあまり物事を前向きには捉えづらくなりました。

最悪なパターンを先に考え、そこでそのパターンより良かったらラッキー

考えていたことが起きると、やっぱりかと言う気持ちで乗り過ごすように

しています。病気になってから体に関しては何一つ良いことはありませんし、費用の面も何も得をしているどころか、損ばかりしています。

 

次のブログは入院生活から病気の事をもっと綴っていこうかと思います。

 

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高齢者のための糖尿病診療

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